Chapter.01 地下鉄狩り  ネットマガジンUNDER×POP vol.3 掲載(2001.12.刊行)
 地下鉄が好きだ。

 東京の路線にはJRとか東武とか西武とか小田急とか京王とか京成とか都電とかいろいろあるが、営団でも都営でもどっちでもいい、とにかく地下鉄が好きだ。
 世界で最も未来的と言われている巨大都市東京の地下深くに潜り込み、増大していく人口をものともせずに、物凄い数の人々の足の役割を果たしている。そのモダンかつハイテクかつミステリアスかつアンダーグラウンドな姿に、ある種のアウトロー的でどこか影のある生きざまを感じる。
 JRは確かに立派だ。元国鉄というブランドを持ってるだけあって、そのカバー範囲の広さには感服せざるをえない。しかも民営化される際に、当時絶大な人気を誇っていた国民的美少女・ゴクミをイメージキャラクターに起用するところに圧倒的な規模の大きさがうかがえる。
 おそらく私鉄レベルでは元三代目スケバン刑事・浅香唯あたりがいいとこだろう。
 まあ、別に一代目でも二代目でもさほど大差はないが。いや、ナンノはきついか。

 しかし「国民的美少女」という代名詞を授かったゴクミも今となってはF1レーサーらしき人物と結婚し、ラブラブ写真を平気で露出するなどインターナショナルな赤裸々妻となってしまった。
 それでもめげずにあくまでも国民的アピールを貫き続け、現在に至ったJRは、またしても国民的コピーライター・糸井重里を起用し、国民的造語「トレイング」を生み出すなどして日本国民の心をつかみまくっている。
 かたや地下鉄は一般公募した素人のマナーポスターなどを貼り出してしまい、国民的というより学校行事的だ。
 私はそんな健気な地下鉄の姿にはある種の悲しさを感じてしまう。
 かつて地下鉄サリン事件などに巻き込まれ、「地下鉄=犯罪多発地帯」というアメリカ的なレッテルまでも張られかねない危機に陥り、何とかそんなマイナス要素を払拭しようと投じた不肉の策なのであろう。
 健全なイメージ作りのために子供を利用し、写生会レベルの素人の絵画をポスターとして地下鉄構内に貼り出すという行為に及んだのだ。
 しかしその結果、地下鉄のアウトロー的存在を汚してしまった。私はそんな国民に媚びる不本意な地下鉄の姿など見たくない。
 サイバー都市トウキョウのアングラを支配する地下鉄は決して乗客のご機嫌などうかがってはいけない。
 「乗りたきゃ乗れ。ただし命の保証はしないぜ。」
くらいのハードボイルドな気持ちを持っていてほしいものだ。
 あの地下鉄の路線図などは見ているだけで何時間でも時間が潰せるという人も多いに違いない。見事に色分けされた路線が四方八方から入り乱れ、何度も交差を重ねつつそれぞれの終点に向けて伸びている。
 その中でも大手町駅あたりの複雑な入り乱れようには、路線図を見ているだけでワクワクしてしまう。
 縦からは大御所・丸の内線、スタイリッシュな千代田線、個性派・都営三田線が勢いよく貫き、そこへみんなの東西線、ハイソな半蔵門線の横からの応戦である。地上には小さな階段しか姿を現していないその地下では、23区ほぼ全域を渡ってきた電車たちが見事に遭遇する混線スポットなのだ。あの日本経済を動かすビジネス街丸の内は、地下世界の流れまでも自在に操る裏ボスでもあったのである。

 単純に5分に1本くらいの間隔で電車が発着するとしよう。そこで頭脳フル回転で計算した結果、1時間に大手町駅を通過する電車は、60分÷5分×5本(線路の本数)×2本(上下線)=120本。

 なんと120本。

 すごいじゃないか。
 同じメトロポリス東京を走る庶民派・京成線のしがない駅のひとつ、お花茶屋駅などでは1時間に多くて12本だ(もちろん上下線合わせて)。
 まあ、京成線はスカイライナー1本で勝負しようという意気込みであろうから、鈍行しか止まらない駅などには、力を注ぐ気などさらさらないのであろう。

 そして地下鉄の入り乱れの様子をより魅力的にしているのは、地中深くの目に見えないところで毎日繰り返されているという神秘さだ。JRご自慢の売れっ子・東京駅のようにこれ見よがしに混線模様をアピールしているのとではわけが違う。
 ちなみに有楽町線の市ヶ谷駅には、通常の路線とは関係のない線路が1本、別の方向へ伸びている。これは防衛庁と皇居をつなぐ秘密の路線で、緊急事態の際ここを戦車が通る、という噂を小耳にはさんだことがある。
 それが事実かどうかは知らないが、こうした極秘地下組織的な噂が流されるのもやむをえまい。むしろそんな謎めいてアウトローな雰囲気が地下鉄にはよく似合う。
 「これより先、関係者以外立ち入り禁止」という看板を見ると、かえってその領域を侵してみたくなるように、決して踏みいることのできない見えない世界というものは、さまざまな想像が膨れあがってしまうのである。
 R指定という言葉だけで中学生がドキドキしてしまうように、見えない世界では確実に何かが起こっている、しかし決して見ることができないというもどかしさの中に人はその想像力をくすぐられるのであろう。

 現在、私は21世紀の大型新人・大江戸線を通勤に利用させていただいている。しかしその深さと車両の狭さには未だに少々不便さを感じる。とは言っても、それも混沌とした世界を作り上げてきた地下鉄の醍五味。
  「深くて狭くて何が悪い。文句があるなら乗るな」
という堂々とした威勢のよい声が聞こえてきそうだ。
 素敵じゃないか。今どき優しいだけの電車など流行らない。つっぱっていながらも仁義を通すビーバップ精神が大切なのである。大江戸線にはそんな「トオルくん、ヒロシくん」的な、ニヒルな姿勢がどことなくかもし出されているのだ。

 しかしそんな大江戸線に一言だけ言いたいことがある。

 いや、その前に誤解しないでほしい。私はどんなことがあっても大江戸線、そして地下鉄の味方である。だからなおさら今後の地下鉄の発展のためにも、心を鬼にして言わなければいけない。

 大江戸線ユーザーなら誰でも感じているであろうことを。

 自ら悪役を買って言わせてもらう。














 新宿がらみの駅多すぎ。